かつて、
文章は文語で書かれていたが、
それが口語で書かれるようになっていった。

インターネットの普及によるものかどうか分からないが、
文章は、モノローグで書かれる時代から、
会話体で書かれる時代になってきた。

ニュースの記事を読むのではなく、
ニュースの記事についたコメントのやりとりを見て、
元のニュースを理解する、という方式。

一方的に投げられた文章を、
僕らがもう読めなくなる時代は近い。


三酔人経綸問答 (岩波文庫)
日経メディアラボ所長の坪田知己氏が
「情報無価値説」で言うとおり、情報そのものは無価値だ。

情報がタダで手に入る時代であれ、有料だった時代であれ、
情報にリバレッジをかけ、価値を引き出すのは、
あくまで受け手の人間だからだ。

たとえば、トレーダーにとっての最新経済情報と、
株をやってない人にとっての情報の価値は、まったく異なる。

受け手全員がその情報を知っているかどうか、
つまり、エクスクルーシブかオープンかでも、
情報の価値が異なる場合があるだろう。
(つねにクローズドな情報のほうが価値がある、と言いたいわけではない)

「外回りの営業に行ったとき、クライアントの話に合わせたい」
という必要性がある人には、新聞を読む価値があるが、
そうでなければほとんど困らない。


「その日にそのネタで盛り上がれる」という程度以上の情報を発信し、
それにリバレッジをかけることができる読者に伝わったときだけ、
情報にほんとうの価値がある。

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